裸で布団

一枚剥がせば、すべて。

ただつらつらと

私は齢21ですが、いままで親族以外の葬儀に5回ほど出たことがあります。

 

1回目はバトントワリングの先生。小さい頃見たコメットさんというアニメに影響を受け、たまらなくやりたくなり。幼稚園卒園までやりたい気持ちが止まらなければやらせてあげるという約束。小学1年生の時に果たしてもらえたのです。

ただしこの教室は別に1人の先生でやっている訳ではありませんでしたから、毎年ころころと変わっていたのですが。私が小学4年の、その年の先生は比較的若く、とても明るく、そして髪型もアフロという中々に濃い人でしたし、何より真摯に私たちと向き合ってくれる感じがとても好きでした。

ただひたすら突然に、交通事故は容赦なく。ある日バトン教室の日だ!と気合をいれ家に帰って着くと、テレビや新聞で見た少しばかり大きすぎる事故の、この死亡した女性というのが彼女だと、ぽつり。親から伝えられた。

葬儀には同じ教室に通う一つ学年が上の子たちと一緒に。実感が湧かないままだったのですが、会場に着き名前がその先生の名前であることを確かめる。でもそれ以上に、若い人の葬儀ですから、参列者の人数がとても多く、さらに言えば会場も大袈裟なほど華やかで。写真も成人式の写真。まるで結婚式会場のように感じた私の目から涙など一粒も出ず。自分は薄情なのでは、と悩んだものでした。

 

2回目は中学の部活の後輩。彼女が2年の時に白血病と発覚。それまでも練習中気分が悪くなり化粧室に駆け込むことが多かったと言うのですが、まったく私は気づきませんでした。良い子なのは知っていましたが、実はあまり話したことが無く、大した気遣いもしなければお見舞いに行くことも無かったのですが、度々話を聞く限り体調は思わしくないようで。彼女が高校生になった年に、ひっそりと電話が来ました。

高校に上がってからなかなか会わなかった中学の友達と、同窓会のような気持ちで再開し、会場へ。とてもこじんまりとした会場にはなんとも暖かなメッセージボードが。辛そうな姿もあったけれど、私には今がとても幸せそうに見えて、でもそれは彼女には伝わらないのですが、でも幸せそうで。その光景でもういいやと何かを見切ったみたいで、またも涙は流せませんでした。友達が横で泣いているのを見て少し恥ずかしい気持ちになって帰りたくなったのを覚えています。

 

3回目は友人の母。

中学の修学旅行で同じ班だった子なのですが、金閣寺で闘病中のお母さんのために、とお守りを買っていたのを覚えています。

葬儀での彼女の暗い顔が頭から離れません。

 

4回目は、高校の部活の顧問。

その先生は私はなんとなく縁を切れないと思った先生だったので、卒業の際にもろくにお別れをしませんでした。また逢えるね、飲みましょう、と。

しかしそんな間もなく、大学1年の夏、私が成人していない上にまだ忙しなくしているうちに、訃報は来てしまいました。

LINEという、なんとも無機質なもので連絡が来て、衝撃が走ったのですが実感湧かず。しかも明日以降も多くの予定があったのでどうしたらいいかわからなくなり親に電話。そこで「先生が亡くなったって、、」と言葉に出したことによって何故か涙が溢れて来たのでした。

葬儀では、会場こそ厳かでしたが、参列者の多いこと多いこと。知り合いの顔も多く、大学に入りバラバラに動き始めていたみんなが集まった安心感が勝り、なんだかほっこりとした葬儀で終わったのでした。

 

5回目は、高校の部活の先輩でした。

ひたすらに私と友達でいてくれようとし、むしろ私が面倒を見てたんじゃないかとも思う。でも、連絡をしてくれた時には何故かたまらなく嬉しい、そう思うような人でした。

彼女に関しては今でもこうして文面を打っていると涙が止まらなくなります。

1番とは言いませんが2番目くらいには彼女の近況を聞いていた私。そんな私に出来ることはもっとあったんだろうなと、凄く後悔があります。

前の年の顧問の死から1年。その悲しみも癒え、またも忙しなく動き始めていた私に、突然連絡が来たのでした。

今度はどうしたらいいか何も分からず、親にも電話もできず、ただひたすらぼうっとしていました。

葬儀でも1日目は涙も出ず、私はただ静かに彼女を想うことしかできませんでした。しかし告別式では、涙が止まらず、はじめて元々入っていたバイトを仮病で休んだのです。

 

 

 

なんでこんなこと突然書くのかって、私もよくわかりませんが、時々思い出しては涙する、そんな日々を過ごしているので、一回くらいどこかに書いておきたかった、ということなのかもしれません。

 

おやすみなさい。